注:ホストハボエド子

輝くネオン。
むせ返るような香水の匂いと、人の波。
自分という存在が希薄になりそうなこの都会で、あんな素敵な人に出会うなんて。

その頃オレは、思ってもいなかったの。



いつも通りの指名。幼馴染に無理矢理連れてこられたあの日から毎晩のように通い詰めているけれど、薄暗い店内であの人を待つこの時間だけは未だに慣れない。
柔らかなソファに片手を付き、高めのヒールの所為で傷んだ足首をそっと撫でる。

少しでも綺麗になりたくて、普段は滅多にしないメイクに力を入れてみたり。
少しでも相応しくなりたくて、服装も露出度が高い流行のものを着てみたり。

そんな自分がなんだか恥ずかしくなって俯いていると、不意に上から声が掛かった。

「ご指名ありがとう御座います。エドワードさま」
「あ……、」

淡い金髪とブルーグレーの瞳。
少し垂れた目尻に咥え煙草がトレードマーク。
自分の隣に腰を下ろした彼からは体臭に混じって、コロンの香りがする。
慌てて居住まいをただし、ぎこちなくオレは挨拶した。

「こ、こんばんは…」
「はは、そんなに硬くならなくても大丈夫ですよ」

まぁ、そんなところも可愛いんですけど。なんてさらりと笑顔で言われ、オレは思わずぷしゅうと赤くなった。
この仕事慣れした口調がなんだか複雑なんだけど…。

「今日は何にします?」
「あ、えと…。じゃあこの間と同じやつで…」

腰を浮かせて目の前のテーブルに備え付けてあるお酒に手を伸ばす彼。慣れたようにカクテルを作るそんな姿もやっぱり格好良くて、オレはほう…と溜息をついた。口に咥えてる煙草も、少し開いたスーツの胸元も、大人の男の人を感じさせて。

「どうぞ。出来ましたよ」

見惚れてぽーっとしていたオレは、その甘さを含んだ低い声に我に返る。
コトンとテーブルに置かれたカクテルグラスに、なみなみと注がれたピンク色の液体。お酒を飲みなれないオレのために、アルコール度数が低いこれを初めて来たときに作ってもらったの。

「ありがとう…御座います…、」
「だから敬語はいいですって。前も言ったでしょう?」

僅かに苦笑して再度オレの隣に腰掛ける彼に、思い切ってずっと思っていたことを打ち明けた。

「じゃ、じゃあ…」
ハボックさんも、オレに敬語使わないで…?
顔色を伺いながら恐る恐るそう呟いたオレの視線の先に、意外そうに目を見開いた彼の姿が映る。いつも穏やかな顔ばかりしている相手のそんな表情を見て、またオレの胸がきゅんと高鳴った。

「いや、でもお客さまですし…」
「お、オレがいいって言ってるんだから」

半ばむきになって唇を尖らせると、なにが可笑しいのか急に破顔してみせた。

「分かりまし…、いや、分かったよ。…エド」
その代わり、俺のこともジャンって呼んでくれよな?
ぱちんと軽くウインクされ、更に親しげな愛称で呼ばれて、風邪でも引いたかのように全身が火照ったオレは、壊れた機械のように何度もこくこくと頷いてか細く返事を返した。

「うん…、ありがと。ジャン……」

名前を呼んだ、たったそれだけのことなのに。
まるで本当の恋人同士になったみたいって、思っちゃうオレは単純なのかなぁ…。

「…あのさ」
「え?」

またもや物思いに耽っていたオレを、彼の声が現実に呼び戻す。
後ろ頭を掻いて珍しく言いよどむ彼に、不謹慎ながら親近感を覚えて嬉しくなったり。

「エドはなんで毎回俺を指名してくれんだ?万年2の俺なんかより、もっと人気ある奴らいっぱいいんだろ」
「それは…」

素朴な疑問を投げ掛けてくる彼に、オレはすぐに返事を出来ずにいた。
なんで指名するか、なんて。

「目が…離せなかったから…かなぁ」
じっとオレの言葉を待っているジャンの視線を感じながら、恥ずかしくて目を泳がせながら続ける。

「背が、高くて。とっても綺麗な目をしてて…」
すごく優しくて。
まあそれはホストっていうお仕事をしてる人になら誰にでも言えることなんだろうけど。

「なんかね、ジャン…は、身近に感じたの」
まるで近所の優しくて頼りがいのあるお兄さんみたいな、そんな感じ。
こんな平凡な自分でも対等に接してくれて、嬉しかった。

「特に今日は…ね」

照れ隠しにえへへっと笑うと、口元を押さえて赤くなっている彼の姿が目に入る。
どうしたんだろう…?

「はー…。そんなこと言われたことねぇから照れる…、」
カッコ悪ぃ、なんてぼそぼそと呟いて足を組みなおす彼に、また身近さを感じて嬉しくなった。

「ジャンってばカワイイー」
「あー、やめてくれって」





そんなこんなでやっと照れずに名前を呼べるようになった頃には、店は閉店間近。
外に出て、眩しさで目を細めながら白み始めた空を見上げる。

「…ジャン?」
「帰り、寒いだろうから」

ふわっと首に触れた柔らかい感触に後ろを振り向くと、煙草を咥えたジャンが自分のマフラーを巻いてくれたところで。一瞬遠慮しようかと開きかけた口は、武骨な指に塞がれた。

「いいから、持っていけよ。お嬢さん」
かわいいホッペが真っ赤だぜ?

「ありが…と、」
どきどきと騒がしい胸を押さえて、大人しくお礼を口にする。
お別れするのが淋しすぎて動けずにいるオレの右手に、ジャンがなにかを握り込ませて耳元に唇を寄せてきた。

「…また近いうち…な?」
「え、あ……」

返事が出来ないでいるオレに軽く手を振って、店の中に姿を消すジャン。
釈然としないまま帰り道をとぼとぼ歩き、さっき握らされたものを確認する。
そこには、1枚のくしゃくしゃになった紙切れ。

「なんだろ…?」

皺を伸ばして広げると、書かれていたのは良く見知った数字の羅列。

「こ…れって……」
でんわ…ばんごう…?



頭で理解した途端に、叫びそうになる口を慌てて押さえる。
確かあの店は客とのトラブルを未然に防ぐため、連絡先を教えてはいけない決まりになっているはず。

ってことは…。







「期待、ちょっとはしてもいいのかなぁ…」

信号が青になっても一向に渡る気配がないオレを、不審な目で見る運転手や歩行者の視線なんて感じる余裕なんて微塵もなく。




ただただ首元のマフラーを、オレは握り締めていたんです。