注:ジャン兄子エド
「ジャン兄ぃ?」
ひょこっ、と自分の背丈よりも幾分高い草の陰から金色の頭が覗く。
太陽に透けるその柔らかな髪は、俺と同じ色にも関わらず質感は全く違っていた。
見ればとろりと溶けそうな蜂蜜色で、指を通せば絡みつく細い絹糸のようだ。
「どうした?」
この村には母方の遠い親戚が住んでいるらしく、挨拶に行くのを言い訳に士官学校を飛び出したのが三週間前。
‥本音は、夏休みの間だけでもあの堅苦しい場所から離れたかっただけなのだが。
「なにしてるの?」
草を掻き分けて近付いてくる気配を感じて、顔は向けずに答えてやる。
「草むしり」
エドワードは、俺によく懐いた。
向かい側の家に母親と弟、三人だけで住んでいて。
父親がいない分の甘えもあるようだけど。
俺が、この小さな子供に注ぐにはあまりにも不謹慎な気持ちを抱えているなど、誰が予想出来るだろうか。
自分でさえ、気付きたくなかったのに。
「くさむしってどうするの?どうせならおはなつもうよ?」
そんな心の中の独白を飲み込んで、いつの間にか隣にしゃがんで俺の手元を眺めているエドワードに笑い掛けた。
「こうやっていらない草を抜いてやらないとな、綺麗な花も元気に育たないんだ。栄養も根っこを伸ばす場所も奪われちまって」
‥だから、皆躍起になる。
我先にと出世と昇格を狙って。
むしられる前に根を張ろうと。
「ふぅん…‥」
首を傾げるエドワードは良く分かって無いようだったけれど、草むしりを続行した。
今日は日差しも強すぎない。
いい天気だ。
「…ジャン兄、」
不意に肩に触れる、柔らかい小さな手のひら。
他意は無いと判っていても、僅かに体温が上昇するのを感じる。
「…ん?」
甘い香りが鼻孔を刺激したと思った次の瞬間には、華奢な腕が自分の首に巻き付いていて。
奥の鼓膜を震わせた言葉に、息をするのも忘れてしまった。
「…‥‥すき」
‥…。
「エドワード」
努めて冷静に、草の汁がついた手のひらを、ズボンで拭く。
爪の先にまで染み込んだ鮮やかな緑を麻痺した頭で見つめて。
誘われる様に抱き寄せようと腰へ腕を伸ばしたが、すんでのところで抑え込んだ。
「すきなの。ジャン兄」
言葉を紡ごうと開いた口は、いたずらに空気を噛むだけ。
違う。
違うんだ、エドワード。
「ジャンに‥ぃ?」
それはきっと、恋じゃない。
俺が抱いている気持ちと、お前の“すき”は、別のところにある。
掠りもしないんだ。
「‥……、兄ちゃん代わりなら他にもいるだろ?」
意識して大人的な、いわゆる苦笑を顔に張り付けてエドを見つめる。
我ながら残酷な言葉を吐いてるな、と何処か他人ごとの様に思った。
「ゃだ…っ、ジャン兄じゃないと‥やだぁ……」
いやいやと俺の首に縋りついたまま、顔を肩口に擦りつけてくるエドワードに理性が跳びそうになる。
思うまま掻き抱いて、めちゃくちゃにしてやりたい。
それこそ、俺への信頼や僅かばかりの愛情を粉々にしてしまうほどに。
「ジャン兄は…エドのこと、きらいなの…‥?」
そんな澄み切った眼で見ないでくれ。
優しい顔の裏側に、こんな醜い感情が渦巻いているとも知らない癖に。
「…‥きらい、って言ったら…どうする?」
回された腕が、強ばった感触。
震える体が自分の言葉に傷ついていることを伝えたが、抱き締めることは叶わない。
幼児期の一時的な感情に振り回されるエドワードを、少し哀れに感じた。
たまたま、傍にいたのが自分だっただけ。
きっとエドワードは、俺じゃ無くても。
その甘い声で
その柔らかな唇で
その太陽のような笑顔で
…同じことを、囁くから。
「‥エドは‥…」
小さな体が離れたと同時に、揺らめく金の瞳が俺に訴え掛ける。
今にもまなじりから零れそうな滴を、ぐっと堪える相手の瞳に決意を見た気がした。
「エドは…‥」
もう一度、同じことを紡ぐ唇。
「‥…ジャン兄がエドのこときらいでも…‥‥すき…、」
ああ
…ごめんなさい。
エドワードのお母さん
弟のアルフォンス
近所のウィンリィちゃん。
…‥この小さな恋心を、受け止めてもいいですか?
「ジャ‥ン…に‥?」
今まで空を掻いていた腕が、今度は迷い無くエドワードの体を抱き締める。
初めて抱いた感触は、想像していたよりも柔らかくて。
戸惑いがちに泳ぐ瞳が俺を捉えたとほぼ同時に。
その唇を奪った。
軽く啄んだ唇は脳髄をとろけさせるほど甘い。
俺はあと一月もすればまた、士官学校に逆戻りだけれど。
また逢う頃には、もう少しだけ彼の恋心が
違う意味を含んでいることを、願って。